無意識と賭博行為についての断章
前意識は、意識せんと意志することによって意識となる。
無意識は、抑圧を取り除く何らかの治療的行為によって意識となる。
フロイトは既に黴臭い古典となってしまった。それでも尚、人間は意識されぬものを超克することが可能だとする見解は現代的な良識である。このことを換言すれば、我々は往々にして、自身のあらゆる行動を、意識の下に統制することが可能だと感じているし、また信じたいと思っている、ということになる。
「わたくしは自ら望んで――つまり、理性の光輝の下に――酒を飲み、タバコを吸い、パチスロをして、マスをかいて、夜食を食べ、マスをかいて、寝る」のである。
無論近年の心理学や脳神経学の進展は、こういった良識ないし信仰の土台を、根本的に掘り崩し得る可能性を大いに秘めているのたのだ。
続く